読後も覚えているような、ぐっときた言葉を紹介してゆく所存です。
あくまで作品の好きさではなく、切り取った言葉のみの好きさ。
私の思う不幸ってなんにもないことだな。笑うことも、泣くことも、舞い上がることも、落ちこむこともない、淡々とした毎日のくりかえしのこと。
メディアファクトリーより抜粋
もしも「たのしい」がずっと続いたら。
もしも「くるしい」がずっと続いたら。
もしも「かなしい」がずっと続いたら。
もしも「うれしい」がずっと続いたら。
そんなおそろしいことはない。しゃっくりがとまらなくなるくらいの号泣もせずに死んでしまうなんてまっぴらだ。そんな毎日はごめんだ。「いつまでもいつまでも幸せに暮らしました」と語られたおとぎ話の登場人物たちも、知り合いに心ない言葉を投げつけられたり、大切なひとと喧嘩したり、すごくおいしそうな鮭がすんごく安くて心躍らせたりしながら、毎日を過ごしていたんじゃないだろうか。
私はそう思う。
「仲直りっていうか、聞きにいったんだ」
「何を」
「わからなかったことを。わからなかったから」
大人になり仕事をするようになると、常に質問の質が問われることになる。ちょっと前に「いい質問ですね」という台詞が流行ったように、どんな質問をするかが、物事の理解度や、もっと言うとそのひとの頭の良さに直結してくるからだ。
仕事以外の私生活ではどうだろう。
年をとればとるほど、わからないことを聞けなくなっている気がする。忘れないようにしたい。自分の以外の人間が何を考えているかを知る方法は、そのひとに聞くしかないということ。何歳になっても、それは忘れないようにしたいと思う。
あなたにとって、伝えるってどんなこと?
伝えたい気持ちってどんなふう?
ひとことでもいいし、長くなってもかまいません。
あなたがこの質問からイメージしたことを教えてください。
幻冬舎より抜粋
私にとって伝えることは、怖くて怖くてしょうがなくて、それでも、どうしてもやらなければならないものです。
皆さんにとっての答えを、通勤の途中でもなんでも暇な時間によければ考えてみてください。
詳しくはわからないが何か大変なことが起きているらしいという恐怖と、外部との連絡が一切遮断された不安の中で、私は目の前にいる人とネジが外れたように昔話を続けた。まるで、不安から身を守る唯一のお守りは記憶だ、とでもいわんばかりに。
文藝春秋より抜粋
昔話をその記憶を共有する相手と交わしたときの、あの居心地の良さはなんなのだろう。若い頃は昔話を好むことが、未来をあきらめることと同義な気がして、自覚的に避けていた。今も似たような気持ちは残っているけれど、昔よりもずっと忘れることを恐れるようになったと思う。
実家でつくっていた正体のよくわからない梅ジュースのまずさや、途方にくれて突っ立っている小学生の自分や、そんな様々なことを、忘れることが怖い。きっと、忘れる恐怖を紛らわせるために、私たちは昔話を続けるのだろう。
意味のわからないものに直面したとき、それを意味のわかるものに変えていくプロセス、それはとても楽しかった。考えて考えて考え抜けば、意味が通る解釈がやがて僕に訪れる。そういう体験だった。小さかった僕は、それを神様のご褒美だと考えた。
講談社より抜粋
算数が嫌いになったのは、サインコサイン、いわゆる三角関数が登場してからだったと思う。それまでは得意不得意は別として、何故こうなるのかを考えて、考えてわからなければ兄や友人に聞いて、わかったときの嬉しい気持ちが好きだったのだ。
例えばひし形の面積、そして台形の面積の求め方。それぞれ公式はあるけれど、どうしてその計算で求められるのかがわかったとき、「すごい」と思った。なんていうか、それを考えたひとたちが。
考えても聞いてもわからなくなって、数学は楽しくなくなってしまったけれど、今でも、初心者にもわかる科学系のノンフィクションを読むのが好きだ。知ることが好きなのだと思う。
踵を返しかけた男に、待ちなさい、と私は呼びかけた。そんなことを、他人に言わせてどうするのです。心から尊敬していたのなら、あなたは、あなたの口でそれを伝えるべきです。
「結構ずっとともだちでいたいと思うんで、また遊びましょうよ」と何年も前にバイト先に男の同僚に言われたことがある。
正確になんと答えたかは覚えていないのだけど、適当な、あやふやな返答をした。当時、ひとりで生きていこう、とよくわからない決意をしていたから、自分から遊びに誘ったりもせず、バイトを辞めたあと、いつの間にか会わなくなった。
どれほど勇気が必要だったろう。真摯に伝えてくれた言葉に、どうして私はあんなへらへらと答えたのだろう。
最近、思う。好きな女の子ならまだともかく、こいつとずっとともだちでいたいなあと思った同性の相手が現れたとして、私はそのことを直接伝えられるだろうか。
ずっとともだちでいたい。
そんなこっ恥ずかしいことを、伝えられるだろうか。
私にはできない、と断定はしたくない。確かにこれまではできなかったけれど、これから変わりたいと思う。変わらなければならないと思うのだ。
なんでみなさんそんなに死ぬのが怖いんですかね。そんなに素晴らしくたのしい人生だったんですか。あたしは終わりがみえて清々してますけど。
朝日新聞出版より抜粋
私は死ぬのが怖い。もうこれは本当に小さい子どもの頃からで、これは大人になってほぼなおったけれど眠るのも怖かった。眠りにつく寸前の真っ暗になる感じが死ぬんじゃないかと思って怖かったのだ。
終わるのがもったいないほど「素晴らしくたのしい人生」だというわけではなくて、なんだろう、意識がなくなることそのものが怖いんだと思う。
ちなみに今は寝るのが大好きだ。ずっと寝ていたいし、今話題の『添い寝屋』を仕事にしたい。会社に布団があればいいのに。昼休みに入れればいいのに、とも思う。
八歳のときに皆子は、サンタクロースがいる世界からサンタクロースがいない世界に移り住んだ。わたしはずっとサンタクロースがいない世界にいる。
抜粋した言葉は、『信じる』という言葉の本質をついていると思う。八歳になるまで、彼女の世界には確かにサンタクロースはいたのだ。信じるとか信じないとかではなく、確かに、いたのだ。
カトリック教徒にとってのイエス・キリストのように。
イスラム教徒にとってのアラーのように。
愛を信じるひとたちにとっての愛のように。
バンドマンにとってのメジャーデビューのように。
一部のひとたちにとってのコリン星のように。
ホームズの作者・コナンドイルにとっての妖精のように。
私はずっと神様のいない世界に住んでいる。できれば、神様のいる世界に引っ越したいなと、時折、真剣に願っている。
栄吉は立派な人間だ。落ち度のない夫だ。ただ気づいていないだけだ。相手が自分を否定しないとわかっているときだけ、人はなんでも言えるのだと、夫は気づかないだけなのだ。
抜粋した言葉は、「話すことはちっぽけだけど大事なことだ」と結婚前に言ってくれた夫に対する言葉だ。そして「相手が自分を否定しない」というのは、話した意見を否定されるされないではなく、話した人間、私自身を否定しない、という意味で語られたものだと思う。
何かを話すことで、その意見ではなく自分自身を否定されたら、私たちは話し続けることができるだろうか。
少なくとも私は、それ以後、そのひとには耳触りのいい話しかしなくなると思う。嫌われたくないという感情が強い相手、私が好きなひとたちであったならなおさらだ。
昔観た映画「クレイマークレイマー」のラスト近くの場面で、主人公の奥さんが弁護士に「この女性は一番長い人間関係でさえたった8年しか続けられなかったのです(超うろおぼえ)」と糾弾される場面がある。子供の頃は「8年って短いのっ?」と衝撃を受けたものだけれど、夫婦のように密接に付き合っていく関係性の場合、話すことがなにより大事になってゆくのだろうと最近は思う。そうでなければ10年や20年といった時間は過ごせないのかもしれないと。
たとえ相手が自分を否定するとわかっているときでも、話さなければならないときがある。そんな気がしている。
地下鉄の階段を 登るとき 私はいつも 考える事がある
喧噪 安堵 解放感
人の生とはこんなふうに 始まるのだろうか
それとも 多くの人が言うように
苦痛のために赤ん坊は 声を上げるのだろうか
初めて抜粋した言葉を読んだのは10年以上前になる。私は20歳で、偶然ひとから借りた『月刊アフタヌーン』に『神戸在住』の連載第1回が載っていたのだ。
文章を読んだだけで、これまで当たり前に見ていた風景が変わることがあるのだと、このときに知った。毎回とは言わないが、いまだに地下鉄の階段を登るたびに私はこの言葉を思い出している。
「人の生とはこんなふうに始まるのだろうか」
という問いかけに私はまだ答えを持たないけれど、そうであってほしいと思う。信仰にも似た祈りとして、赤ん坊がはじめに感じるものが痛みであってほしくはない。









