『ふうらい姉妹』長崎ライチ
初めて漫画を紹介する。ふうらい姉妹。山本れい子とその妹のしおりが織り成す日常系四コマ系ギャグ漫画だ。
うーん。
難しい。
ギャグ漫画の持つその面白さを人に伝えようとするのがこんなに難しい作業とは思わなかった。そのさじ加減、その説明深度、そういうものが全くわからない。
例えるなら遺跡発掘作業に似ていると思った。この足元に素晴らしい遺跡が眠っているのは知っている。それを人に知らしめんと発掘作業を進めていたら、遺跡と関係ない鹿の角みたいな部分が出てきちゃってゴミかどうか迷う時のような感覚だ。
ゴミなら叩き折ってさらに深く掘ればいいけど、遺跡の一部だったらどうしよう。もしもこれが遺跡の統治者の飾っていた猫面の鹿の剥製、その角だった日にはそれを折ってしまったが故に「この遺跡の統治者は猫好きだった!」という風説が流布され「違う! 角を私が折ってしまったから猫に見えるだけでそれは鹿だ!」と反駁しても「そんな動物はいるわけないブヒィ?」と豚面の教授に論破「ビエー!」泣きっ面。
要するに、ギャグの面白さってのは説明して伝わるものじゃないし失敗すれば誤解を受けるということ、おや、比喩を用いない方が分かりやすいとは何事だろう。ともかく、我々にはこの作者の根底に横たわる大蛇めいた狂気にただ舌を這わせることしか許されていない。きっと内容に触れてもその面白さは一片たりと伝えられないだろう。鱗をいくら詳細に説明しても、大蛇の恐ろしさは伝わらないように。
一つ言えることがあるとすれば、長崎ライチの描くギャグ漫画には明確な「女性性」が存在するということだ。
女性が好みそうな絵柄、センスというわけではない。作品の雰囲気それそのものが女性の形を成している。ページの上に屹立するヒールが見え、控えめなペディキュアが見え、ストッキングに包まれた脚の向こうにロングヘアーがコケティッシュに揺れている。彼女は本を開くといつも立っている。そして日頃起きた面白いことを、特に顔色も変えずに淡々と語ってくれる。嘘が混じっているかもしれない。愚痴が混じっているかもしれない。自尊が、欺瞞が、好意が、惰性がある。きっとそれは、こちらが一方的に想いを寄せている女性の話を聞くのに似ている。座って読めば肩越しに彼女の唇が語りだし、寝転がればその隣に寄り添い唇にかかる髪をかきあげながら語ってくれる。
恋だ。恋だろう。この少し皮肉屋で、学がなく、それでも凄くメルヘンチックで高飛車なくせにおっちょこちょい、そしてユーモアセンス溢れる女性に俺は恋をしているのだ。ギャグ漫画を読み、そのセンスに感服し作者を尊敬することは間々あったが恋をしたのは初めてかもしれない。この稀有な体験を是非皆にもしていただきたい。手にとって、笑いつつも魅力的な彼女に恋をして欲しい。ただ一つ忘れないでほしいことは、彼女は今俺と付き合っているということだ。嘘じゃない。実際何回かチューした。
