『ダブルミンツ』中村明日美子著

 

 

 みんな椅子を持って産まれてくる。

 名前という名の椅子を一つ持って産まれてくる。


 椅子の形や色はそれぞれ違っている。アルミで出来た無骨な椅子に座っている人もいればクッションの効いた上等な椅子に沈んでいる人もあり、かと思えばただの切り株に腰掛けているだけの人もいる。


 そんな中で君だけ椅子がない。

 

 確かに産まれてくるときに椅子を持ってきたような気がするが、今見渡してみるとどこにも空いている椅子がない。困っている君を見かねて神さまが言う。「君の椅子はあれだよ」。

 

 しかしその椅子には既に誰か座っている。自分に似ているような少し違うような誰かが君をニヤニヤ眺めながら座っている。けど確かに彼の座っているそれは自分の椅子だ。そういう確信がある。あの椅子は自分のだ。座っているその誰かは泥棒だ。

 

 君は持っていた熱湯を椅子にかけた。余りの熱さに驚いた彼は慌てて椅子からどいた。その隙に君は熱湯でどろどろになった椅子に腰をねじ込む。冷めやらぬ熱湯が君の肩を焦がし背中を融かす。ただれた皮膚がめくれ、あらわになった内側へさらに熱がしみる。とても痛いがともかく椅子は手に入れた。

 

 目の前で椅子を奪われた彼が君を睨む。憎悪の目だ。彼は懐からナイフを取り出し君の太ももに突き立てた。傷口から痛みの稲妻が広がる。しかし君は退かない。だってそれは君の椅子だから。彼は何事か叫びながら突き立てたナイフをさらにねじ込む。激痛に喘いだ君の口を何かが塞いだ。

 

 彼はナイフを突き立てながら君に口付けをしていた。そのまま君に馬乗りになり、さっきまでナイフを持っていた手で君を固く抱きしめる。熱湯が彼の手を焦がす音、唾液の絡みあう音、吹き出す血液の鼓動のどこまでが自分のものかわからなくなる。彼が君を抱きしめているのか、君が彼を逃すまいとしているのか、それすらもわからなくなる。

 

 互いが互いを貪り合い、溶け合うことでひとつになろうとする。しかし彼らは決してひとつになることを許されてはいない。それは神さまが決めたルールだ。それでも彼らは固く抱きしめあい、厳しく苛めあった。生きるために殺そうとした。殺すために生きようとした。

 

 その様子が余りに見苦しいので、神さまは君たちが取り合っている椅子をとうとう壊してしまった。君と彼は椅子の破片を拾うと、お互いの胸に突き立て、流れる血の熱さを確かめるとにこりと微笑んだ。

 

「ああ、やっと、手に入れた」                                                           

ダブルミンツ (EDGE COMIX)