『ドグラ・マグラ』 夢野久作
幻想作家・夢野久作氏が十年間の構想のもと書き上げた本作は、小栗虫太郎の『黒死館殺人事件』、中井英夫の『虚無への供物』と並んで日本探偵小説三大奇書としても知られている。そのキャッチコピーは「読破したものは必ず精神に異常をきたす」だそうだ。
私は往々にして使われるこの『構想○○年!』だの『全米が泣きつかれて寝た!』といった煽り文句が余り好きではない。こいつらは胡椒のようなもので、使えば使うほどその味に作品全体が毒されてしまい、魅力そのものが損なわれてしまうのだ。
こんなのは作者インタビューの欄外にちょこっと見えるか見えないかぐらいの文字で書かれているぐらいでちょうどいい。あるいは『090-XXXX-XXXX ←このオンナ誰にでもヤらせる!』の落書きを真に受けて電話した先のオンナが「ヤらせはしないけど、じゃあ代わりに」と言ってトリビア的に囁いてくれる程度で満足なのだ。それを観る前読む前から横断幕片手に大声でまくしたてられてしまったのでは「やかましい」と思わざるをえないし「ヤらせろよ!」とも思ってしまう。「ヤらせろよ!」に関しては多分言ってしまう。
とにもかくにもこんな煽り文句を先に見て(というか帯に書いてあった)しまったために、この作品に対する期待値みたいなものが異常に跳ね上がってしまっていた。よほどの作品でないと満足しないぞ、と、だいぶ攻撃的な気持ちで。クラウチングスタートのような格好で読み始めたのだが……。
うん。
結論から言えば狂いはしない。読前の私は読後の私と何ら変わらないと言える。しかしながら、圧倒的だ。この作品は圧倒的だった。何が圧倒的なのかはわからない。ともかく言えることは、構想十年がまるで誇張でも広告でもないということだ。一文字一文字が読者を狂わせようという意図に充ち満ちている。次にどういう言葉がくれば人を狂わせられるだろうか? それだけを考えて作文されているようにすら思える。そんなことをして作品を完成させたならば、それは十年でも短すぎると言えるだろう。
正直に、煽り文句を先に読んでおいてよかったと思った。「構想十年!」という言葉から事前にこの作品の面白さみたいなものを類推していたお陰で、踏みとどまれたように思える。とてもじゃないがこの作品は構想十年で完成するようなドラクエレベルの代物ではない。もっと破滅的な何かに満ちている。読解なんて真似をすればそれこそこっちが狂いかねないだろう。「構想十年!」というブレーキが無ければ、この本の価値を知るために何度も何度も読み返してしまっていただろう。
銃口だろう。この作品はまさしく銃口だ。興味本位で覗き込めば、たちまち思い出をたんぱく質のシャワーにされてしまう。あらかじめ「弾は込められていないよ」と言ってくれたお陰で、必要以上の好奇心を働かせて頭を吹っ飛ばされることもなく、また、狂うこともなかった。
「構想十年!」「天才作家の遺作!」そんな過小評価こそが、この作品の被害者を最小限に抑えてくれている。殺人鬼に、拳銃の代わりにペンを持たせる試みが十年で幕を閉じたことは、誰にとって幸運であろうか。

