『殺戮にいたる病』/我孫子武丸著

 

 先入観ってすごい。

 人は誰しも、何らかの先入観を持って生きている。常識だとか、慣習だとかいったものもある意味では先入観だ。さらに拡大解釈すれば、文化というものも先入観によって生まれ、そして育まれ、さらに見えているものだろう。我々は先入観に囚われて生活している。先入観が我々の身体を、精神を、雁字搦めに縛り付けているのだ。

 それは、凄く興奮することなのだ。

 憧れのマドンナも、清楚なあの子も、高飛車なあのビッチも、みんな先入観によって自由を奪われている、束縛されている! よく見てみるといい。あの娘の、あんな嫌らしい観念の谷間にも、先入観の縄目が食い込んでいるのだ。さらにそれが歩く度に形而上的亀甲縛りの、その実にアブストラクタルな縛り目によって、あの娘の思想的乳首は痛いぐらいに勃起主義者だろう?

 しかもさらにいやらしいことは、彼女たちがそれにまるで気付いていないということだ!

 身体中を、蛇のような先入観的麻縄が苛んでいることに、まるで気づいていないのだ。それは果たして束縛といえるのか? 恥辱といえるのか? 

 その答えが本書、我孫子武丸著『殺戮にいたる病』だ。

 これを読んで、その結末。その真相に震えない読者はいないだろう。そして彼らは同時に知ることになる、自分自身を縛っていた麻縄の存在を。鼻フックの存在を。三角木馬の食い込みを! ギャグボールの湿り気を! 赤ロウソクの暑さを! 多条鞭の痛さを! 足コキの良さを!

 解き放たれて、初めて我々は縄の存在に気づくのだ!

 内容はいたって秀逸な推理小説。是非とも皆にオススメできる珠玉の傑作だ。

 しかし私が今著を勧める理由はもう一つある。どうか皆、読む前に不安になっていただきたい。自分を縛っているかもしれない麻縄の存在に心を戦慄かせて欲しい。そして読んだ後、いかに自分が嫌らしい格好で縛られていたかを知り、恥辱に頬を赤らめてほしい。乳房を隠し、股間を覆い、泣きながらその場から去り、しかしその興奮をいつまでも忘れることができず、ついついもう一度今著を手にとって、夜中の公園に行き、そこでいつもは蔑みの眼差しを送っていた浮浪者に今著を音読してもらう、そう! あんな男たちに! あんな男たちによって、また私は先入観に縛られて、そしてそこから解放される喜びに身を打ち震えさせるのだわ!

「へへ……奥さん、あと数行で真相がわかっちまうぜ」
「だ、大丈夫よ……私は先入観なんて持ってないんですもの。そんな、どうせ普通の結末……」
「おっと、こいつぁ、ぎひっ。奥さん、意外な結末だぜこりゃあ……何と……」
「ああ! 言わないで! それ以上は言わないで!」
「ぎひひひぃ! こりゃあ雌豚の顔だぜ! 清楚なフリして、こいつぁとんだ観念ビッチだ! どうせ今も色んな先入観をアソコに食い込ませて喜んでんだろう!?」
「し、真相を、真相を言ってぇええぇえん!」
「よおし、真相をぶちまけてやるぜ! なんと結末は――」
「アア―――!」


と、ここで、今著の内容にまるで触れてないことに気づいた。イッケネ。

殺戮にいたる病 (講談社文庫)