『発狂した宇宙』フレドリック・ブラウン著
人の幸せは他人の不幸を礎として成り立っているってのはよくできた話。
例えば、モテ筋ムキムキなイケたメンズたちが恋愛の壇上で活躍すればするほどガリガリで、ゲソゲソで、ナナフシが人の形になったら俺、みたいなひんじゃ君たちの居場所がなくなっていく。
またあるいは一世一代の大舞台、ブロードウェイを満員にする文化祭劇『桃太郎』その主役はスポットライトを独占しイエーイ鬼デストロイサンキュー! などと花束シャワーを浴びている中で桃が流れてくる川の近くに生えているヨモギ役、その不貞腐れ顔はとても見てはいられないだろう。
そう、つまりは幸せってのは単独では成り立たない。その外堀を埋める不幸達があって初めて【幸せ】はそれが【幸せ】であることを証明し、その形を成すのだ。そんなことは皆わかってる。わかってるのに誰もが「天上天下」で「唯我独幸」な世界を願ってしまう。無理無理。わかってるよそんなの不可能あるわけ無い。そうそう、あるわけないって。
そう?
実はあるかもしれない。
この無限畳に広がる大宇宙、そこに浮かぶ幾千幾万の星という可能性。
その中には私が、貴方が願う世界が存在しているかもしれない。
そう何もかもが思いどおりの夢世界。街では人気者だし、国では英雄扱い。道をあるけば足跡からキャンディの実がなり、くしゃみをすれば綿菓子が鼻から出て、背伸びをすれば右の脇からアールグレイ、左の脇から玉露がドリップされる、そんな夢のような世界が存在すれば私は天頂我が物とばかりに幸せを謳歌するだろう。
しかし自分以外の人間はどうだろうか。
例えばアールグレイが嫌いな人にとっては以上のような世界はとても肩身の狭いものになるだろうし、玉露を見るだけで眼がつぶれる系のアレルギーを持ってる人にとってはそもそも生きてはいけない地獄になるだろう。キャンディ屋は廃業だし、綿菓子屋は一家離散だ。
そんな、誰かが極端に【幸せ】になってしまった世界。幸せのベクトルが唯一点に集中してしまった世界。もし貴方がそんな世界にある日急に放り込まれてしまったら? そしてそんな世界が「正気の世界」だと告げられてしまったら? 我々には「発狂する」以外に、どういう選択肢があるだろうか。
本作は「SF」のジャンルを冠してはいるが私はそう思わない。世界に適応できない、要するに上述した【不幸】側の人間による壮大な愚痴だ。長編の愚痴だ。SFの皮をかぶった一大愚痴スペクタクルだ。
フレドリック・ブラウン。間違いなく彼も正気の宇宙を呪いながら、宇宙の発狂を望み、なおかつ小学生の学芸会で無機物の役をやらされた思い出を持つ不幸側の人間だろう。
「ふざけんな何で俺がヨモギの役だよ」
「どうしてアタシがボイラーの役なの!」
「なぜ我が輩がジャガイモパリパリサラダの役をせねばならんのだ」
多かれ少なかれ誰もが一度はこういう目にあっているはず。それもそのはず世界で得をしている人間なんざ一握りにすぎないんだから。そういう意味では誰もが共感しうる物語であり、世界中すべての人に等しくオススメしたい一冊だ。
本作で撒かれるフレドリック・ブラウンの「SF風大長編クダ」を肴に酒でも飲みながら「そうだよな! ふざけんなよな! あるある!」と共感しながらもその果てにある「ざまぁみやがれ宇宙!」と言わんばかりのラストでスカッとして明日もがんばって出勤しよう。外回りいく振りして山手線ぐるぐる回って定時ぎりぎりに帰る宇宙が正気だなんてね。イヤだね。
