『螢』麻耶雄嵩
ずーっと箱が開かないんだよ。この小説。
箱があるのはすぐわかる気づく目に見えて露骨すぎるほどに誰でも。そこに真相やら真犯人やらトリックの核心やら、要するに作者である麻耶雄嵩が我々を「騙そう」として使っている道具が詰まっているのもわかる。見た目には単純な箱だ。素材はダンボールか、まあそうでなくても大して頑丈そうには見えない。そんな箱が足元にぽつんと置かれている。
それが全然、全ッ然開かない。
ホントもうちょっとイライラするぐらいに開かない。鍵穴どころか蓋らしきものも見当たらず、かといって乱暴に蹴飛ばしたり殴りつけたりしても傷ひとつつかない。これが他のミステリならば「これを開けるためには材料が足りないんだ。後回しにしよう」ということも出来るのだけれども、この小説の巧妙にして狡猾なところは、その箱に以前誰かが開けた痕跡を残しているところだ。
つまり、その箱を見つけた時点で我々には小説のトリックその構造を推理する材料が揃ってしまっていることになる。そこまでお膳立てされて見てみぬフリなんか出来るものだろうか。「解けますけど?」と書かれた謎に背を向けてただただ文字を追うことなど、「餅ですけど?」と書かれたものを風呂のタイル代わりに貼りつけ鼻歌混じりに湯船に浸かるようなマネを!
だから格闘した。読み進める手を止めてまで、麻耶に組んづ雄嵩にほぐれつ、しゃにむにこの箱と格闘した。何かあるはずだ。見落としている何かが。核心にニアミスする確信だけを頼りに分析に分析を重ねて、ついに! 開いたのだ! 箱が! 難攻不落の立方体がその門戸を開き、その中に詰まっていた本作の核心は!
箱だった。
箱イン箱、まさかのマトリョシカ構造。しかも取り出した後もともとの箱よりちょっとでかくなりやがるその箱、いったい何で出来てんだよと悪態を付きながら再び格闘を繰り返すもやはりまるで開かない。諦めれば? と誰もが思うだろう。しかしながら諦めきれない大理不尽は、その箱に見覚えがあるということなのだ。
いつか。どこかで。そしてたぶん、自分はこの箱を開ける鍵を拾ったような気がする。
そんな妙な記憶だけが頭の片隅にじっと居座り続ける。しかしながら読み返しても読み返してもその鍵を見つけることは出来ず、ついに物語の終盤、敗北感に包まれた私の前で箱がひとりでに仕方ねえなと言わんばかりの表情で開き始めた。次々飛び出てくる物語の真相、トリック、いずれも自分が何とか筆者を出し抜こうと格闘しながら追い求めていたものだ。「ああ! なんだ、こういうことだったのか!」叙述トリックにハマった人間の抱く、脱力とも解放ともつかないあのカタルシスが脳内麻薬となって駆け巡る。どんでん返し、しかしどこか清々しい心の転覆!
箱を開けてみれば何てことはない、しかし大胆の一言に尽きる大トリック!麻耶雄嵩は読者を騙す【だけ】では飽きたらなかった! ・・・・・・。「そう締めくくったら綺麗にオチるかな」そんなことを思いつつ空になった箱を閉じようとして、底に一個残った箱を見つけたときの私の顔な。
