『駿河城御前試合』南條範夫著
山口貴由著『シグルイ』の原作としてある意味有名かもしれない今著。
稀代の暗君と謳われた徳川忠長が「なんか年始って特番ばっかりで面白いテレビやってないからつまんないよね。あーあ、果し合いとかやってないかなー」つってザッピングしてるのを見た老中とかが「殿の思し召しだ! 殿のアクオスに果し合いを映せ! 早くせい!」「ははっ! 直ちに!」で、殿のアクオスの液晶部分ごと壁をぶち抜いてその先の原っぱで実際果し合いをさせた、とかいう駿河城御前試合。嘘。『徳川忠長』が『果し合いを』『させた』だけ本当。アクオスとか嘘。REGZAだったかも。
まーしかし愉悦のためだけにガチの切った張ったをやらせる、なんてのも相当キてる所業であることは否めないのだけれども本作の主眼はそこではなく、御前試合に参加した剣士たち。
全十一試合、総勢二十名以上の名だたる剣士たち。その中には眉目麗しい女性もいれば不殺を信条とする剣士もいた。そんな彼らが何故、真剣試合に身を投じなければならなかったのか?
その理由から因縁から因果からの一切合切を十二編の短編形式にてお届けする。
無残無残と言われているほど残酷描写もくどいと感じなかったので淡々と読めるのがありがたいのかありがたくないのか。人が人を殺そうという気持ちになるその道程こそは、そこに乗れば確実に殺人駅が終点に待っているという意味では恐ろしい劇薬なわけで、そんなの淡々と読めちゃっていいの、などと思いながらもつるつると吸い込まれていく十二編。
綴られるエピソード、その中の生きる剣士たちの心情、そのどこかに必ずシンパシーを感じてしまうのが辛いやら悲しいやら憤りたいやら。
誰しも一度は「こいつぶっ殺してやる!」という気持ちになったことがあるだろうし、その原因は様々でもあると思う。しかしこの駿河城御前試合という作品にはその全てが凝縮されて、そう、残念ながら凝縮されている。殺意の緒、その取っ掛かり、引っ張れば簡単に取れる殺意のロール紙が三角に折られて待っていることだろう。
その殺意の先に何が待っているか。
駿河城御前試合、全十一試合中八試合で敗者が死亡、残り三試合が相打ち。という結果からも何かが察せられるところだろう。
しかしながらやはりこの作品の肝は、試合の結果などでは断じてない。その過程。人が人を殺そうとする、その過程を知ることにこそある。もし目の前で「アイツを殺したい!」と息巻いている友人がいたら、ぜひともこの駿河城御前試合を二時間ほど読ませてみてほしい。
意気消沈して「なんかアッサリしたものが食いたい」と言い出したら彼は作品から殺意の本質を読み取り、その虚しさに気づいたと言えよう。
「そうか! 何かを投げつけてひるんだ隙を狙えばいいのか!」
とか言い始めたら死亡フラグなので全力で止めよう。
