読み:【音】ショク、ジキ 【訓】た(べる)、く(う)
成り立ち: 集めてふたをかぶせるしるし(傘部分)とごはんを器に盛った様子と、匙(さじ)を組み合わせたかたち。
意味:たべる。くう。たべるもの。月や日が欠けること。
日々生きている私たちは、食物連鎖という長く複雑なループから逃れることはできません。俗に食物連鎖のヒエラルキーの最上位、最終捕食者は霊長類、肉食獣などと定義されています。しかし、本当の意味で最終的にすべてを栄養とするのは、いわゆる「分解者」と呼ばれるカビ、細菌などの微生物です。ありとあらゆる死んだもののそばへ行き、消化酵素で溶かして、自らの栄養として取り込む。そのさまはゆっくりながら痕跡も残らないほど完璧で、まさに“すべてを食らう”という表現が正しいほどの貪欲さです。
微生物の中でもカビの消化、吸収の流れはユニークです。ヒトは唾液、胃液など数十種類の消化酵素を体内で使い分け、食べ物を少しずつ分解しています。これに対し、彼らはすべて自分ひとりで分解するのではなく、協力体制のもと完全分業化しています。カビが栄養とする物質は、ほかの生き物では消化できないような複雑な構造のものがほとんど。このため、大きな物質をAという物質まで分解するもの、Aをさらに細かいBにするもの、Bをさらに細分化するもの…といった具合で、自分が必要な分だけでなく、さらに余分も作り、自分のおこぼれをほかのカビに分けてあげるのです。
顕微鏡を覗いていると、与えるもの、貰うもの、横から拝借するだけのものなどさまざまいますが、彼らはそれぞれの利害関係を尊重しながらコミュニティーを作り、競合せずに仲良く暮らしています。まるで人間社会の縮図のようでもありますが、絶妙なバランスで肩を寄せ合い、子孫を残すためにただ粛々と分解、吸収を繰り返す彼らのほうが、生きるという点においては、よほどヒトより真摯なのではと思えます。
食べることがすなわち「生」であると同様に、最終的に消化され、消えていくということは、私たちがエネルギーを使って命を育んでいる“有機物”であったという証明でもあります。ヒトは大抵火葬後、灰や骨を小さな壺に詰め込んで埋葬しますが、食う、食われるという大きな流れの中ではこの方法は邪道と言わざるを得ないでしょう。ヒトもゆったりとした流れの中で食われ、有用に使われるべきなのではないかと、微生物の生き方を思うたびに考えさせられます。ここでひとつ初心に立ち返り、命の流れを断ち切らないよう朽ちて無くなる死に方をするのも、また面白いものかもしれません。一生懸命生きてきたという自負があれば、真摯な微生物の糧となるのも、本望というところでしょう。