嘘つきアーニャの真っ赤な真実

ペン軸にペン先を取り付け、インクに浸してノートに書き付ける。そのようにして書かれたものは、消しゴムなんぞでは消せない。

 

 

まるで私の頭の中のようだと思った。
ここ2年間、まるで勉強した気がしない。いや、それは違って、毎日私は私の勉強をしているのだ、とも思う。

自分の興味のある分野だけはとことん覚える私は、それはまさに頭の中にペンで書いて消えなくさせているようである。
逆に、興味のない分野は、消しゴムで消した文字を読もうとするかのごとく、思い出せない。そのせいか、テストの点は毎回芳しくない。

しかし、テストに出ないようなこと、例えば傾倒している文学作家の生い立ちを完璧に覚えていたり、テストすらないような、物理のやたら難しい理論を理解しようとしたり、そんなことは、いくらでも覚えている。しかも、恥ずかしながら、それを無神経に自慢しようと試みたりもする。

最近の私はこうであるが、中学時代の私はそうでなかった。
どんなに興味のない分野であろうと、興味を持て、興味を持て! と無理に暗示をかけ、一日何時間でも机に向かい、授業で習ったことは一字たりとも忘れなかった。それもまさに頭の中にペンで書き込むような作業であり、それしか出来なかった。教科書が愛読書で、それが全てであった。


それがいつからか、教科書以外の世界が楽しくて仕方なくなり、何かが曲がってしまった。私の周りは誘惑だらけだった。
教科書の中の、こいつは私に必要だ、と思うものしかペンで書けなくなっていた。

勉強に縛り付けだった中学時代の私が今の私を見たらどう思うであろうとよく考える。こんなひねくれた勉強しか出来なくなっているとは、予想もしていなかったのは確かだ。きっと、賞賛の拍手と、恥辱を知れとの罵声を同時に浴びせる。たとえそうでなくても、そう思いたい。


そんな毎日が2年間も続いてしまい、何事にも中途半端であるせいか、一喜一憂の激しい性格になってしまった。

そんなある日、学生は何て楽な職業だろう! と学校でスキップしたことがあった。自分がどういう状況下なのかを知ってか知らずか、別段嬉しくも楽しくもなく、自然と出てしまったような行動だった。

よく考えてみれば、親のおかげで学校に通わせてもらっている、それでいて高い知識も功績もなく、スキップする自分。自我からくる偏った勉強は大きな悩みとなり、それは大変醜く、楽ではない。考えと行動の相違は、ひねくれものに拍車をかける。

そんな情念でさえ、いつしかペンで書き込むようになっている。

嘘つきアーニャの真っ赤な真実 (角川文庫)

 

written  by クララ