日
12
7月
2009
和製ファンタジーといえばこれ、の話
荻原規子さんの『空色勾玉』に初めてふれたのは、小説ではなくラジオドラマでした。中学生のときで、確か水曜日だったと思います。火曜日だったと思います。どっちかです。毎週ほんとに楽しみで、放送開始の十分前から兄のラジカセの前でスタンバイしていました。やっぱり三分前だったかもしれません。
ラジオドラマって意表をついてすごくおもしろいんだけど、あんまり聴く機会がないですよね。テレビよりも、これがおもしろいとか、そういう情報が届きにくいっていうのもあるんでしょうけど。
小説の場合、これはもちろん人によるでしょうけど、私は基本的に絵を浮かべないんですね。言葉をそのまま言葉で受け止めてる感じ。自分で絵をすべて想像できる、っていうのがラジオドラマの一番の魅力だと思うんです。ラジオ版『空色勾玉』で大蛇(オロチ)の剣が暴走するとことか、映像の迫力ってことでいえばスピルバーク超えてましたからね完全に。頭の中だけですけど。実際はしょぼいイヤホンはめて、親とかに気兼ねせずに大きい音で聴きたいから、手で両耳を覆って。部屋でじっとしてました。なんか気でもためてるの? ってぐらいじっとしてました。中学から高校ぐらいの、じっと座って音楽とかラジオとか聴いてた時間を元気玉をためるのに使えば改造人間16号ぐらいは倒せてたと思います。小学生の頃、ノートに自作の迷路を作ってた時間をあてれば、フリーザも倒せてたんじゃないか。眠れない夜はそんなことを考えます。ほんとはどちらかと言うと起きてるときに考えています。そういうときは大抵仕事でミスします。新社会人のみんなは覚えておいてください。仕事中にドラゴンボールのこと考えちゃだめ。先生との約束です。
なんの話でしたか。
荻原規子さんの新刊『RDG』がやたらと評判いいので買おうかどうか迷ってる、って話でしたか。『空色勾玉』の「あなた方一族は変わらない。永遠で、美しい。けれどそれは豊葦原の美しさとは違うものなの」(一割合ってる部分があるかも疑わしいほどのうろ覚え)とかいう台詞が当時やたらと気に入って半ページ分ぐらい暗唱できるようになってた、っていう気持ち悪い話でしたか。いまだに『おぎはら』なのか『はぎわら』なのかわからない、って話でしたか。
そうそう、ラジオドラマ『空色勾玉』がすごくすごく好きだったって話でした。当時私は中学生で、毎週の放送が楽しみでしょうがなくって、確か木曜日だったと思います。
