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7月

2009

『ぼくは落ち着きがない』を読んで思ったこと。

「あー、この本好きだー」

と久々にしみじみ思ったのでその話を書きます。

 

 女子生徒の一人称で、高校の図書部を舞台にした物語。一言でいえばそんな話なのだけど、少なくとも私にとってこの本は「思ったり感じたりしたことについて」の物語でした。

 

 『もうあだ名を呼べないことの寂しさは、もう会えないということの寂しさと似ているけど、区別したい。』

  

 上記の言葉は本文からの抜粋だけれど、本一冊全部を通して語られていたのは、こういうことなんじゃないかと思います。

 自分の感情と、それを表す言葉との距離について。

 「私もそう思う」とか「そうそう、俺もそう思ってた。○○って△△だよな」といった言葉を聞いて「少し違うんだけどな」と思うことがあっても、その場の流れで話を合わせて、『思ったこと』まで変わってしまったような気になることがあります。

 あのときの悲しい気持ちって、なんなんでしょう。

 以前鴻上尚史さんのエッセイで、「外国語を話すとき、自分が思ったことと少し違っても知っている単語を選んでしまい、言葉と感情のずれが苦しくなる(うろ覚え)」みたいな内容のことを読んだことがありますが、その感覚に近いと思います。

 

 物語の中で主人公の望美が「登校拒否をすることに決めた」頼子を絵本の『おおきなかぶ』みたいにひたすら引っ張るシーンが心を動かすのは、望美が自分の気持ちにひたすら誠実で、相手の気持ちをわかることにはひたすら懐疑的だからだと思うのです。

 

 『皆、なんで気持ちがわかるんだろう』

 

 と疑問を抱いた望美のように、私も話したり引っ張ったりしながら、思ったことと言葉のずれを埋めてゆくでしょう。10代でも20代でも30代でも40代でも、きっと、それは変わりません。本書を読み終えた今、そんなふうに思っています。

 

 

ぼくは落ち着きがない